Ⅱサムエル15:⒔~18、24~29 サムエル記㊻「神の箱を都に戻しなさい」
ダビデとアブサロムは、表面上は和解したが、アブサロムの心は父から離れ、謀反を企てる。ダビデにとって大きな試練を迎えるが、彼の神への信仰は更に強められていく。
1.アブサロムの謀反(1~14節)
・軍備を整える(1節)
・4年かけて「イスラエルの人々の心を盗んだ」(6節):自分こそ王に相応しいと
・「主に立てた請願を果たすため」と言ってヘブロンに行き、決起した(7~12)
・ダビデはエルサレムから逃げた:「剣の刃でこの都を討つといけないから」(14)
エルサレムが戦場になることを避け、プライドを捨て、潔く宮殿を譲る
2.ダビデに従った人たち:惨めな姿のダビデだが、忠実な者、味方する者もいた
・王の家来たち:「王様の選ばれるままにいたします。」(15節)
・異国人の兵士たち(クレタ人、ペレテ人、ガテ人):ダビデに恩を感じる人々
ガテ人イタイ「主は生きておられる…生きるためでも死ぬためでも…」(21節)
改宗者と思われる→主にあってダビデに従う
・祭司ツァドクとエブヤタルとレビ人:神の箱を担いで出て来た
神はダビデの側についておられると判断した
・イエスもご自分の民に受け入れられず、異邦人に受け入れられた
私たちも、外見的な世の魅力に惑わされず、どんな時も主に従いたい
3.ダビデの神への信頼
・「神の箱を都に戻しなさい」(25節):持ち出すべきではない
神の箱は個人のものではなく、民のためのもの
主が自分を連れ戻してくださり、神の箱を見せてくださる→信仰と希望
・「主が良いと思われることをこの私にしてくださるように」(26節)御心に従う
エステル(エステル4:16)、ダニエルの3友人(ダニエル3:18)
ゲッセマネのイエス(マタイ26:39,42など)
・「アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(31節)裏切りを主に委ねる
礼拝する場所に来た時、フシャイが来てアヒトフェルの助言を打ち破る任務を
早速、神が祈りにこたえて下さった
(結論)ダビデは逆境の時も、権力やプライドに固執せず、神にのみ信頼して、志を同じくする人たちと共に神を待ち望んで耐え忍んでいった。私たちも神に信頼して行きたい。
Ⅱサムエル14:12~24 サムエル記㊺「追放されたままにならないように」
長男アムノンが姦淫を犯したが、ダビデがきちんと対応しなかったため、2年後に三男のアブサロムがアムノンを殺して逃亡した。それから3年が経ち今度はアブサロムと向き合わなければならない。
1.アブサロムの帰還(1~24節)
・ヨアブ、テコアの知恵のある女を王のもとに遣わす
・女の訴え:二人の息子が喧嘩。一人が殺され、もう一人も親族に処刑されそう
・王は、その息子が殺されないように命ずる
・その女は、王も追放された王子を連れ戻すように進言する
・アブサロムをエルサレムに連れ戻すが、会わない:完全に赦したのではない
2.アブサロムとの和解(25~33節)
・2年後、アブサロムはヨアブを王の所に送ろうとするが、ヨアブは応じない
・ヨアブの畑に火をつけさせて、強引にヨアブに来させた
・ヨアブを通して、王に会えないならゲシュルにいた方がましと伝える
・ダビデはアブサロムに会い、和解した
3.ダビデの問題点
・罪に対する中途半端な対応
連れ戻しても会わなかった:制裁のつもりかもしれないが、罰も赦しも不完全
神はダビデの罪に即座に対応し決着。ダビデは息子達の罪の決着に7年かかる
・和解も不完全:心からの和解ではなかったので、この後アブサロムは反逆する
・神の判断を仰がなかった:罪を正しく裁かれるのは神のみ
戦いでは神の判断と導きを仰いだが、罪への対応では神の判断を仰がなかった
神は罰と赦し、厳しさと優しさを絶妙なバランスで持っておられる
神はいのちを取り去らず、追放されたままにされない(14節)
「わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうか…悔い改めて立ち返ることを喜ぶ」
エゼキエル18:21~23
(結論)私たちは、自分の罪や他人の罪に対する判断において不完全な者である。自分の判断で自分や他人を裁くのではなく、神の裁きを仰ぐべきである。神は悔い改めて生きることを望まれる。私の罪のための罰はイエスの十字架である。自分の罪の大きさに向き合ってこそ、その赦しの大きさを知る。そして、完全な神との和解が訪れる。
Ⅱサムエル13:19~22、28~33 サムエル記㊹「あなたの子を戒めよ」
ダビデの罪は赦され、ソロモンの誕生により、神との関係回復がなされたが、その罪の影響は家庭内に及ぶ。ダビデは家庭を治めるのに失敗した。多くの妻を持ったことがその要因の一つであった(3:2~5、5:13~16)。新約聖書では「監督は…一人の妻の夫であり…自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。…」(Ⅰテモテ3:2~5)教会の指導者の資質が記されている。旧約聖書でも「王は自分のために多くの妻を持って心がそれることがあってはならない」(申命記Ⅰ7:17)と警告されている。
1.長男アムノンの罪(1~18節):近親相姦
・異母兄妹のタマルに恋し、仮病を使って看病に来させて暴行した
欲望を遂げると彼女を嫌い、追い出した
・タマルは二重に傷つき、嘆き、兄アブサロムの家で一人わびしく暮らした
・倫理観が乱れていた:父の悪い姿の影響か?
タマルの「イスラエルではこんなことはしません」(12節)の言葉を無視した
2.三男アブサロムの罪(19~38節):兄殺人
・妹タマルを辱めたことでアムノンを憎む「良いとも悪いとも何も言わなかった」
・二年後、祝いの席で、アムノンが酔ったところで部下たちに殺させた
・祖父であるゲシュルの王の所に逃げて三年間身を寄せる
3.ダビデの失敗(21節)
・アムノンの行為に対して激しく怒ったが、何もしなかった
「人の怒りは神の義を実現しないのです」(ヤコブ1:20)
・父として王として言うべき時に言うべきことを言うべきであった
「あなたの子を戒めよ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし…」
(箴言29:17)
「むちと叱責は知恵を与える。放っておかれた子は母に恥を見せる」
(箴言29:15)
「怒る」は自分の気持ちを表しただけ
「𠮟る」は相手のことを思って厳しいことを言う
(結論)父なる神は、ダビデの罪を見逃さずに叱責し、悔い改めに導いて神との関係を回復させた。ダビデも我が子の罪を放置せず、何らかの罰を加えるべきだった。そうすればアムノンは悔い改めたかもしれず、アブサロムも殺人せず、タマルも慰められたかもしれない。優しさだけが愛ではない。自分の感情ではなく、相手のため、周囲のことも考えて、責任ある言動と行動を取りたい。親だけでなく、指導する立場の者にも求められる。
Ⅱサムエル12:16~31 サムエル記㊸ 「まだ生きているときに」
ダビデは罪が示された時に即座に悔い改め、神もその罪を赦された。しかし、蒔いた罪の種は刈り取らなければならない。姦淫によって生まれた子を神は打たれた。
1.ダビデの断食の祈り(16~23節):ダビデの大胆さと潔さ
・生きている間はあわれみの可能性がある
「もしかすると主が私を憐れんでくださり、あの子が生きるかもしれない」
主のみこころは決定的であることはわかっていても、神の愛にかけてみる
・その子への愛:その子のためにできる限りのことをする
・犯した罪の大きさに向き合う
自分の罪のゆえに、何も悪くない子が死ぬ辛さ
・死んだ時、その死を受け入れた:心の切り替えの早さ
祈りの答えとしてのみこころを受け入れた
できる限りのことをしたので悔いがない
天での再開に希望を持つ「私があの子のところに行く」
2.ソロモンの誕生(24~25節)
・赦しのしるし:神との関係回復を表す子
ソロモン(ダビデの命名)=「平和を好む」「平和の君」
神との平和・心の平安
エディデヤ(神の命名)=「主に愛された者」
悔い改め、御心を受け入れ後の子
・憐れみのしるし:「主が私を憐れんでくださり」と祈った断食の祈りの答え
その子は死んだが、新たな子が与えられた→違った形での祈りの応答
3.ラバへの勝利(26~31節)
・要請を受けダビデは出陣し、攻め取り、戦利品を奪い、アンモン人を労働者に
・王としてのあるべき姿に回復された
11:1での怠惰が発端で起こした一連の罪だった
(結論)ダビデの罪は赦され、神との関係が回復され、恵みに変えられた。そして、ダビデの神の憐れみに対する大胆さ、諦めない心と、神の御心に対する潔さも見る。私たちも、時に大胆に諦めず、時に潔く御心に委ねたい。神は私たちの思いを受け止め、祈りに何らかの形で答えられる。与えられた時を十分に用いていきたい。