Ⅱサムエル4:8~11 サムエル記㉞ 「主は生きておられる」
ダビデの王国の確立まで内戦が続き、人間の罪深さ、醜さが記されている。イシュ・ボシェテの王国は、実権を握っていたアブネルの暗殺により弱まり、王は二人の部下により暗殺された。二人はダビデが喜ぶと思ったらが、却って処刑されてしまった。
1.バアナとレカブの罪
・主君への裏切り:イシュ・ボシェテの下で略奪隊の隊長だった
形勢が悪くなり寝返った→ダビデに手柄を立て褒美を得るため主君の命を奪う
自分の欲望のために人の命を何とも思わない→自己中心
敵を愛し、自ら手を下さず神に委ねて来たダビデは喜ばない
・正しい人を殺した(11節):悪いことをしていない人を無防備な時に殺した
・主の御名を語った:「主は今日・・・復讐されたのです」(8節)
主の命令に従ったかのように→結果はそうかもしれないが、神の方法ではない
主は命じておられない。正しい人(無実の人)を殺すことは御名を汚す行為
主は「『主よ、主よ』と呼びながらわたしの言うことを行わない」のではなく
「わたしのもとに来て…ことばを聞き…行う」(ルカ7:47)ことを求められる
自分の都合の良いように神の御心や御言葉を使うことのないようにしたい
2.罪に対するダビデの態度
・自分に対する悪には寛容(サウル,アブネル,ヨアブ等)。神の前の罪には厳格
・「主は生きておられる」(9節)
自分の思いや感情ではなく、神の前で、神を意識しての行動であることを宣言
「主は…あらゆる苦難から贖い出してくださった」今までの経験
神に信頼し委ねた時、救い出してくださった。だから委ねていく。
しかし、今回の事は神のなさる事とは異なる
罪に対する断固たる決意の表明
自分にとって良い(歓迎できる)かではなく、神の前に正しいかどうか
血の責任は彼らに問う→容認すれば自分も同罪になる
命に対しては命で償う。更に、アマレク人の若者以上の罰(12節)
「この地から除き去る」罪からの断固たる決別
(結論)ダビデは自分ではなく神の視点で判断し、御心を行うことを喜びとし、罪に対して毅然とした態度を取った。ダビデにつく者は同じ心を持つべきである。王の王であられるイエスにつく私たちは、イエスと同じ心を持つ者でありたい。
ルカ6:46~49 「岩の上に土台を据えて」
ペンテコステから誕生したキリスト教会は、大きくギリシャ正教会、ローマ・カトリック教会、プロテスタント教会に分かれる。プロテスタント教会の中も多くの教派、教団に分かれている。キリストの教会は、様々な特徴を持った教派教団によってバランスが取られ、真理が伝えられている。神の摂理によって所属している教団の、神が立てられた目的と使命を確認したい。
1.創設者(蔦田二雄師)に与えられたヴィジョン
・獄中生活での思い巡らし(2年半)
1942年、東条内閣によるキリスト教会への弾圧により、投獄される
「逆境の日にはよく考えよ」(伝道者7:14)
戦争に向かった社会、ホーリネス系の教会に対する弾圧の理由を考え反省
主が許されて牢から出られたら新しい教団を立てたい
名は「インマヌエル」どんな逆境にも神が共におられることは奪われない
・1945年10月21日、祈りのうちに創立。翌年に教団発足
4原則:①聖書主義(聖書は神の言)②聖化の教理と実践 ③宣教 ④自給
聖と宣、その中心は聖書。聖書に照らして聖化を追求し、聖書を伝える
「岩の上に土台を据え」られた
2.岩の上に土台を据えて建てる
・必要性:嵐や洪水にも倒れないため 「びくともしませんでした」(48節)
コロナ禍で教会の活動や信仰生活も制限された。コロナ後の世界もどうなるか
時代や社会の流れの影響の中で、変えてはならないことを弁えつつ
時代に合った形に変えていく。 立ち戻るところは聖書
イエス様は旧約聖書を解き明かし、成就。 宗教改革も聖書に帰った結果。
・方法:「わたしのもとに来て」=祈る、交わる、心を主に向ける
「わたしのことばを聞き」=みことばに聞く、主のことばとして聞く
「地面を深く掘り下げ」=みことばの意味、御心を尋ね求める
「それを行う」=「主よ、主よ」と言うだけでなく実行する
「地面を深く掘り下げ」=実行のために信じ、格闘し、祝福を体験する
(結論)教団も、教会も、クリスチャンの人生も、岩であるイエス様の上にしっかり建てられているならば、この先どんなことが起きても「びくとも」しない。そのために、祈りつつ、みことばに聞き、従っていこう。
Ⅱサムエル3:31~39 サムエル㉝「主が、悪を行う者に、報いてくださる」
サウルの家とダビデの家に争いが続いた。ダビデの手から離れて両将軍を中心に起こる出来事の中で、ダビデは「私は無力だ」と嘆き、悪に報いられる主に委ねた。
1.アブネルが寝返る(6~21節)
・きっかけはイシュ・ボシェテへの怒り(6~11節)
サウルの側女と通じたと咎める:王位を狙っているのではないか?
アブネルは激しく怒る:誰のおかげで王になれたのか!今後はダビデにつく!
「イシュ・ボシェテは…一言も返すことができなかった」(11節)
・ダビデと契約を結ぶ(12~21節)
最初の妻ミカルを返す:復縁。サウルの義理の息子に。使者を遣わし筋を通す
イスラエルの長老たちとの交渉:「ダビデを王とすることを願っていた」(17)
ダビデは祝宴を張った(20,21):彼を信用し、今までのことを赦し受け入れた
優れた将軍、サウル側からの味方を歓迎した
・アブネルの悪:「主がダビデに誓われた通りのこと」と言うが、私情と私利私欲
動機は怒り、思い上がり:自分が手を引いたらどうなるか思い知らせる
目的は野心:サウルの家で勢力を増していたようにダビデの家でも勢力を増す
主に逆らって、イシュ・ボシェテを王にしたゆえに、多くの命が失われた
・主の報い:暗殺によって、過去のダビデへの仕打ちに報い、将来の野心を止めた
2.ヨアブによるアブネルの暗殺(22~37節)
・アブネルのスパイ行為だとダビデに文句を言う
・内密にアブネルを呼び出し暗殺する:ヨアブの弟アサエルの死の報復
ライバルの排除
・ダビデは潔白を表明:契約を結んでいたが、主の前に潔白。血の責任はヨアブに
・ダビデは悲しみを表明:全ての民と涙をもって埋葬した。食事も取らなかった
哀歌を作り、安心して出て行き無防備な時に打たれたことを悲しんだ
・「王のしたことはすべて、民を満足させた。…王から出たことではない」(36)
・ヨアブの悪:勝手な行動がダビデと国を危機に陥れようとした
「油注がれた王であるが…無力だ。…手ごわすぎる」(39)意に反し抑えられず
・主の報い:「その悪に従って報いられるように」(39)今後の主に委ねる
(結論)人がそれぞれの思惑で悪を行っても、神は必ず報いられる。私たちが裁いたり仕返ししたりせず、主に委ねて、主の前に善を行い、誠実に歩んで行こう。どんな人の思惑をも越えて、主の御計画は着々と進められていく。
Ⅱサムエル2:1~11 サムエル㉜ 「ユダの家の王とした」
サウル王とヨナタンの死を知ったダビデは、いつまでも悲しんでおられず、すぐに行動した。しかし、すぐに全イスラエルの王になれたわけではなかった
1.ユダの家の王となる(1~11節)
・「ダビデは主に伺った」(1節):大事な選択、決断の時に、主の指示に従う
行動力のあるダビデだが、今までの失敗を教訓に、まず主に伺った
主も明確な指示をすぐに与えられた:「上って行け」「ヘブロンに」
・「ユダの人々が・・・ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」(4節)
王と認めた:同部族。以前、親切への謝意からアマレクの戦利品を贈られた
・「アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを…全イスラエルの王とし」(8∼11)
「ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は7年6か月であった」(11)
神に油注がれてから十数年、更に7年半、神の時を待つ忍耐力
神の約束を信じ、神に信頼していたので忍耐できた
・「ヤベシュ・ギルアデの人々に使者たちを遣わし」祝福した(5~7節)
敵対関係にはない:サウル王を尊敬しており、あなたがたの行為を称賛する
全イスラエルの王となった時、善をもって報いるので安心するように
ユダ以外の人々も味方につけ、後の全体の統治のために備える:政治的戦略
忍耐して待つ間も、できる備えをする ←約束の成就を信じていたから
2.サウルの家とダビデの家の間の戦い(12節~3章1節)
・アブネル(サウルのいとこ)ヨアブ(ダビデの甥)両将軍による内戦
・12人ずつの代表闘技でも決着せず、全面的な戦いになる
・アブネルの呼びかけでヨアブが角笛を吹いて停戦となる
ダビデの家来19人とアサエル、アブネルの部下360人が戦死
「ダビデは益々強くなり、サウルの家は益々弱くなった」(3:1)
・同胞同士で殺し合う悲劇:「自分の兄弟たちを追う」(26,27節)
権力争い・分裂:「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」Ⅰコリント3:3,4
主に聞き従えば一致できる:「主に油注がれた方」を立てる
力づくで王座を奪うのではなく、主の御手に委ねる
・二人の王が立つ時の混乱:「二人の主人に仕えることはできません」マタイ6:24
神以外に頼るものや従うものがある時、葛藤が起こり、平安がなくなる
(結論)ダビデのように神に信頼して、行動力と忍耐力を持つ者となりたい。そのためにも、イエスただお1人に、私たちの心と生涯の王として座していただこう。